陵水

       
 莫同湖さんの父が建て、家族が住んでいた家は、陵水を占領した日本軍に奪われ、「慰安所」として使われた。  莫同湖さんたち家族は、日本軍に家を奪われたあと、いなかに避難したという。
  「翠緑園」という名が付けられたこの「慰安所」で、女性たちの食事のこしらえや洗濯などをしていた王亜交さん。
  「慰安所の経営 者は、日本人だった。女性たちは、日本語を話し、2階に住んでいた。女性たちは20〜30歳。  時間があるときは、庭で石をけりあげて遊んでいた」。  
陵水の「慰安所」跡として日本軍に接収された家
王亜交さん(1922年生)
陵水の「慰安所」二階
裏階段 当時のままだという

会文

 
 文昌市会文鎮の瓊文中学は、かつて日本軍が駐屯していた場所にある。いまも、当時の建物や施設がいくつか残っている。
会文守備隊本部だった建物
 
会文「慰安所」だった建物
改装されているが構造は当時のままだという
馮惟書さん(1934年生)
馮惟書さん
  「この‘慰安所’には、地元や朝鮮の女性が入れられていた。女性たちは10人くらいで、部隊が来ると、30人以上に増えた。日本軍がこの‘慰安所‘の建物を造らせた。この付近に三つあった。  小学校 に通っていたとき、‘慰安所’の女性を見た」。
 
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